●長府は、西暦一九三年、仲哀天皇、神功皇后により豊浦の宮が築かれた。大化二年(六四六)には、長門の国府として長府と呼ばれるようになり、その後長門鋳銭司や国分寺が設置され大内氏、陶氏などに引き継がれ、その後
慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の役後、毛利秀元が長府五万石の城主として入府、文久、元治の馬関攘夷戦、七卿の来府、蛤御門の変、長州征伐と長州藩は激動と苦難の道を辿ることになるが、元治元年(一八六四)十二月十五日、功山寺における高杉晋作の挙兵により歴史は大きく転回し、やがて明治維新を迎えることになる。
●今回の長府は戦争が終わるまで、父親が神戸製鋼に勤務してたため、両親長男が乃木神社の近くに住んでいたらしいので昔良く訪ねてた。 しかし町並みは古さは残しつつきれいに整備されて、歴史観光の街そのものだった。見ごたえはあるし行って損はないよ!北九州からJRで片道420円で行けるんだから驚き!しかし山口のバス料金は高い!そう西鉄バスよりどの区間も100円は違う!防長バスとサンデンバスが結構頻繁に来る。 今なら土日祭は下関駅から長府までロンドン2階建てバスが運行中!今回の終わりは昔下関水族館があったところまで歩いた。今は医療センターが建設中!くじら館は残っていたよ!その横が1国1城になるまで長府の城として櫛崎城のあったところ、今は石垣など整備されきれいになっている。 でももう登る元気は残ってなかったので下からパチリ。その時すでに18000歩くらい歩いてたから、もうバテバテでした。 医療センターの隣にマリンホテルのスパがあるので、疲れたらひと風呂浴びて帰れる。(私は入らなかったけどね^^) 行き返りの所要時間といい国宝の寺や幕末のいぶきが感じれる北九州にはない街でした。 また何年かしたらぜひ、たずねてみたい街でした。